「オランダへようこそ」

某所で書いたものを少しアップしていきます。


 ホモデウスのなかで、「やがてアルゴリズムが決定を下すようになるのと引き換えに、ヒトはその行為から遠ざかっていく」、つまり人の知性がAIに及ばなくなれば人間としての判断をAIに委ねることになるかもしれない、と述べていることについての一考察に。


 私は生命科学と倫理の話になると、NIPT(新型出生前診断)のことを思い出す。NIPTは母体の血液で胎児の染色体異常を見つける、簡便かつ結果が重大な検査である。検査の条件を定めた指針があるが、それを無視して民間施設が日本では大多数のNIPTを行っている。そのため染色体異常とみなされない(表現形としては殆ど正常な)胎児も中絶の対象となってしまうケースも有る。

 私はNIPTそのものに反対ではない。おそらくはAI的には最適解であろう「遺伝子(染色体)異常は社会にとって好ましくはない」という命題がアルゴリズム化され、保護者(親)から考え決定する権利(ナレッジマネジメント)を剥奪する状況に反対である。

 この状況を「ホモ・デウス」に当てはめると、データと技術を持つ一部の民間NIPTが「ホモ・デウス」であり、使う側の人間はアルゴリズムに委ねるだけの存在、ということになる。これを突き詰めれば優生思考に基づいたと思われる2016年の相模原障害者施設殺傷事件や2020年のASL女性「安楽死」もAIによって正当化されることになる。

 それでは私達はどのように対抗すればいいのか?

 「遺伝子(染色体)異常は社会にとって好ましくはない」というアルゴリズムは真実ではなく物語である。それでは、そのアルゴリズムから外れるのはどうだろうか?

 2017年のテレビドラマ「コウノドリ」でも紹介された「オランダへようこそ(Welcome to Holland)」というエッセイがある。イタリア(健常児)に行くはずだったのに、予想外にオランダ(非健常児)へ来てしまった。でもオランダ旅行も悪くないぞ、というのが内容である。

でも、イタリアに行けなかったことをいつまでも嘆いていたら、オランダならではの素晴らしさ、オランダにこそある愛しいものを、心から楽しむことはないでしょう。

 物語に身を委ねるのではなく、既成の物語から脱却し自らのストーリーを紡ぎ出すのだ。

 「ホモ・デウス層(トップ)」「支配される層(ボトム)」だけでは、AIに対抗することは出来ない。既成の物語以外でも生き抜くことができる多様性 (diversity)を備えたミドルが増えることが、AIからの支配を防ぐ手段の一つである。