薬害と統計学

某所で書いたものです。
例によって、私が所属している団体の意見と全く同じ、というわけではありません。

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はじめに

 薬・予防接種には「するべきだったのしなかった」という「不作為過誤」と、「するべきでなかったのにしてしまった」という「作為過誤」が生じるが、この2つを同時に回避することはできない。つまり、「過誤回避のジレンマ」 [手塚洋輔, 2010]がある。ここでは不作為過誤と作為過誤の事例としてサリドマイドとHPVワクチンを取り柄上げ、統計の重要性について考察する。尚この論文では、市販後の当局の判断についての作為・不作為を取り扱う。

不作為過誤:サリドマイドとレンツ報告

 1961年11月27日に西ドイツ(当時)でサリドマイド(以下Th)販売中止と回収が行われた。Thは1956年にドイツで開発され世界各国で販売された。鎮痛剤・催眠剤として使用されていたが、妊娠初期の悪阻にも広く使われていた。しかし、妊娠早期にThを服用した妊婦から生まれた新生児の一部に、手足に異常をきたすTh胎芽病を発症するのがわかった。それをいち早く見つけたのがレンツ博士である(レンツ報告・レンツ警告)。

 レンツ博士はχ二乗検定を用いて危険性を証明した。

帰無仮説:サリドマイドと手の変形とは関係ない。
対立仮説:サリドマイドと手の変形とは関係ある。

χ二乗検定統計量は非常に高く危険率は低い。(図 1: lenz.xlsx)

図 1

 ちなみにオッズ比も380と非常に高くクラメールの関連係数も0.83と高いこともあり、相関関係は非常に強いと思われる。因果関係は報告時点では不明であったが、西ドイツ政府などはいち早く対応し、販売元の会社はThを回収した。

 その後販売中止及び回収によってTh胎芽病の新たな発生は見られなくなったことが、時系列データ分析のトレンドから見て取れる。妊娠期間がほぼ9ヶ月ということを考えると、因果関係は非常に強いことが伺われる。(図 2) [サリドマイド胎芽病研究会, 2020]

図2

 しかし、日本では対応が遅れ、販売停止になったのは1962年9月であった。また、回収も不十分で、販売停止後もTh胎芽病の報告があった。結果として認定されているだけでも309名の被害者が生じた(不作為過誤)。

 なお、日本でTh裁判の最中、大阪大学工学部の杉山博氏は、「いわゆるサリドマイド問題に関する統計的考察」と題する論文を日本維持新報に発表した。この中で杉山は非服用者208名のうち22名(10.6%)もの発症があることに疑問を呈した。Th服用者が92名(30.7%)と高いことも指摘した。つまりクロス集計表を横に読んだのである。
 しかし、レンツ報告はあくまでもケースコントロール研究(後ろ向き研究)である。ケースコントロールではある病気に罹患している群と対照群に対して、その病気の特性/暴露の有無との関係を調べる研究である。つまり、比べるべきはTh+群とTh-群それぞれの内部であり、表を横ではなく縦に見ないといけない。

 この状況は、モザイクプロットを見れば分かりやすいだろう(図3:エクセルでは作成できず、Rのmosaicplotで作成)。後に杉山は削除訂正している。 [柴田義貞, 2010]

図3

作為過誤:HPVワクチンと名古屋スタディ

 2013年4月に厚生労働省は、子宮頸がんの予防のためにHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)を定期接種化した。名古屋市はそれより前に、2010年にHPVワクチンの公費接種を導入。全国でHPVワクチンの接種が始まった2か月後の2013年6月に未確認の有害事象報告がなされたことを受け、厚労省は「子宮頸がん予防ワクチン接種の積極的勧奨の差し控え」を行った。

 名古屋市では、HPVワクチンと有害事象の関連性を調査するため、大規模な匿名郵便によるアンケート調査を実施。接種率が比較的高かった1994年4月2日~2001年4月1日までに生まれた名古屋市の女性7万1177人を対象に、24の症状の発症や通院、頻度、学校の出席への影響などを調査した。この調査は「名古屋スタディ」と呼ばれている。 [Suzuki, 2018]

 名古屋スタディの結果、2万9846人から回答が得られ、HPVワクチン接種後に起きたと呼ばれる24の症状の検討が行われた。後述するように論文ではオッズ比で検討が行われているが、この課題では24の症状をすべてχ二乗検定で行うことにした。

 まず行ったのは、データの収集である。名古屋スタディの生データについては名古屋市でも公表されているが、PDFファイルであり非常に扱いにくいものであった。 [名古屋市, 2021]そのため三重大学の奥村晴彦氏が抽出したCSVファイルを参考にした。 [奥村晴彦(, 2021]

 データハンドリングについては目視し、手作業およびエクセルでの作業で行った。具体的には一つでも欠損値がある人のデータをエクセルで検出し削除していった。その結果、27818件ものデータを集めることが出来た。また、各人のデータについては24の症状の有無のみとした。
 その後ピボットテーブルを用いて24の症状とワクチン接種の有無について個別にχ二乗検定を行ったところ、24の症状のうち9症状に危険率5%で有意差を認めた。

 それでは名古屋スタディではHPVワクチンの危険性を統計学的に認めたことになるのであろうか?
 それは異なる。このデータ解析では、年齢という交絡因子を無視しているのである。

 臨床データは、性別・年齢・既往歴という交絡因子が存在する。名古屋スタディの調査対象は女性のみなので、性別による交絡因子は存在しない。また、調査対象は比較的若い年齢のみなので、既往歴も少ないことであろう。ただし、年令による交絡因子が存在する。

 前述のように名古屋市ではHPVワクチンが定期接種化する前に、市の独自の制度で無料接種を導入していた。
つまり名古屋市が無料接種を導入していた1994年度生まれ(第1カテゴリー)から1998年度生まれ(第5カテゴリー)については、HPVワクチン接種率が高い。その一方、接種時期にHPVワクチンの「薬害」が報じられてきたと思われる2000年度生まれ(第7カテゴリー)では接種者は非常に少ない。(図 4)

図4

 そのため、年齢調整が必要になってくる。名古屋スタディでは、年齢調整したオッズ比(Age-adjusted odds ratios)を計算している。論文では95%信頼区間の左側の数字が1を上回る場合は、ワクチンによるリスクがあると判断している。その結果、報道されているワクチン接種後のすべての症状で,HPVワクチン接種との明らかな関連性は認められなかった(図5)。

図5

 しかしながら日本でも安全性に関する論文が2015年に出されたにもかかわらず、政府もマスコミからはほとんど無視された状態であり、HPVワクチンの積極的な勧奨が再開したのは2022年の4月であった。そのため、すでに2000~2003年度生まれの女子のほとんどは接種しないまま対象年齢を越え、将来の罹患者の増加は合計約17,000人、死亡者の増加は合計約4,000人である可能性が示唆されている。 [Yagi, 2020]
 そもそも2013年に行われたHPVワクチンの「子宮頸がん予防ワクチン接種の積極的勧奨の差し控え」について、統計学的な考察が行われた形跡もない。つまり、科学的な視点で言えば「差し控え」自体が作為過誤であった。

総括

 治療や予防接種には、「するべきだったのしなかった」という「不作為過誤」と、「するべきでなかったのにしてしまった」という「作為過誤」が存在する。日本当局の対応について言えば、Thでは不作為過誤の典型であり、HPVワクチンは作為過誤の典型であろう。「作為過誤のジレンマ」があるがジレンマを最小にする方法の一つとして、統計がある。統計にもとづいて迅速な判断を行えば、薬害を最小限に回避し、なおかつ治療薬や予防接種の効果を最大限に享受できることであろう。

引用文献

SuzukiSadao. (2018). No association between HPV vaccine and reported post-vaccination symptoms in Japanese young women: Results of the Nagoya study. Papillomavirus Research.
YagiAsami. (2020). Potential for cervical cancer incidence and death resulting from Japan’s current policy of prolonged suspension of its governmental recommendation of the HPV vaccine. Scientific Reports.
サリドマイド胎芽病研究会. (2020年3月31日). サリドマイド胎芽病診療ガイド2020. 参照先: http://thalidomide-embryopathy.com/activity_report.html
奥村晴彦(. (2021年11月14日). 名古屋市のデータのCSV化. 参照先: https://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/stat/160629.html
柴田義貞. (2010年7月3日). 日本計量生物学会ニュースレター第103号. 参照先: http://www.biometrics.gr.jp/newsletter/all/kaiho103.pdf
手塚洋輔. (2010). 戦後行政の構造とディレンマ―予防接種行政の変遷. 藤原書店.
名古屋市. (2021年1月12日). 子宮頸がん予防接種調査の結果を報告します. 参照先: https://www.city.nagoya.jp/kenkofukushi/page/0000088972.html


追補

 名古屋スタディが出た後、2019年に日本看護科学学会が出版する「日本看護科学学会誌」(JJNS)に、名古屋スタディのデータを使った「日本におけるHPVワクチンの安全性に関する懸念:名古屋市による有害事象データの解析と評価」(筆者:八重ゆかり氏・椿広計氏 / 通称「八重・椿論文」)が掲載された。

 「八重・椿論文」は名古屋スタディと同じ公開データを使用していながら、異なる方法でデータ解析を行い、5項目の症状で接種群に有意に高い値の症状が出たとしている。

 しかし鈴木氏は、3つの方法論的な誤謬が存在すると指摘している。

  1. 年齢を交絡とせず、調整をしなかった点
  2. 「study period」という情報バイアスを含む変数を導入した点
  3. 交互作用のある解析で、間違った低次項の解釈をしている点

(会員用のサイトであるが、キャッシュから閲覧することができる)
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:4kUXE2neXbYJ:https://sp.m3.com/news/iryoishin/1113134&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

 この結果、一部の項目のオッズ比が0.61から4.37にまで上昇している。「これがワクチンの副反応だろうか。これは交絡であり、情報バイアスであり、妥当でない交互作用の使用だ」と鈴木氏は問題視する。

 これについての日本看護科学学会の対応については、サイトを確認されたい。

 なお、「八重・椿論文」の八重ゆかり氏は、HPVワクチンの薬害を訴え続けている薬害オンブズパースン会議のメンバー(当時)であり、利益相反が疑われる(念のために書いておくと、全く利益関係がない人しか発言してはいけない、ということではない)。

 また、本来の薬害ではオッズ比は、サリドマイドで380、スモンでは1000超、薬害エイズではほぼ無限大など非常に高く、私見ではあるが「八重・椿論文」のオッズ比4.37とは比べ物にならない。

 最後の上記サイトから鈴木氏の発言を引用する。

 鈴木氏はm3.comの取材に対し、「学会や学会誌の不作為が非科学に加担し、社会に悪影響を及ぼす危惧がある。そのため、日本看護科学学会に加入し、学術総会の場で『告発』するに至った」と説明している。